プラクティスの危険な部分

Namaste!

今日書こうと思ったのはアシュタンガプラクティスで気づかぬうちに引き起こされるちょっと自分にとってマイナスな部分も書こうかな〜と。

アシュタンガのプラクティスって順番が決まってるからこそ、あの人は〇〇のポーズまで進んでるっていうのがわかりやすい。

練習生同士で、今どこまですすんでるの?とかっていう会話は普通にある。でもわたしは人に聞くのも聞かれるのもめっちゃ苦手。人間ってすぐ優劣つけるし比べたくなくても人と比べるし、そのポーズの進み具合で優劣を無意識につけるのをしたくないしされたくもないから。。

 

もちろんそんな気持ちにならない人もいると思うけど、日常生活で人は何かしら普段からいろんな面で優劣つけたり比べて落ち込んだり、優れてると思って傲慢になってたり…するんじゃないかなぁと思う。

もし人と比べたことない〜それで落ち込んだだり傲慢になったことない〜て超ピースな人ばっかりだったら、今の時代ヨガとかあんまり必要とされてないはず…。

 

そういうマイナス面も踏まえた上で、この練習は体の発達だけじゃなくて人と比べないようにする心の練習!と思いながら自分を成長させれたらいいけど、自分の心を野放しにして練習してしまったらポーズが出来る人は私はすごいって思ってしまったり、苦手なポーズがたくさんある人は、みんなできてるのにわたしにはできない…って嫌になったりしてしまう。

アシュタンガをやってるとどうしてもポーズを進めていく事に楽しさを覚えるだろうけどそうやって体の開発だけに囚われすぎると心は自分のダメな部分とか汚い部分が余計に強くなるし、せっかく自分の見たくない部分をみるチャンスなのに見えなくなる。

そうなると、自分のエゴがバンバン助長されていくなぁって思った。

自分でも、うわ、エゴ丸出しやな私!!とかあーまた自分の為に練習してない。って練習中思う事は多々あるしまだまだ心のヨガが全然出来てないんだけど、少なくともアシュタンガは心の成長や精神的なプラクティスっていうのを忘れずに日々取り組む事はかなり大切。

人に見せるためのパフォーマンスプラクティスなのか、自分の精神的発達のプラクティスなのか今自分が何のために、どんな練習をしているのか時々見直すのは必要だなと経験して思ったのです。

心の修行ってカラダの何倍も大変!!